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日記(大正14年)

ID
jihi280
目録番号
自筆280
資料名
日記(大正14年)
作者
南方熊楠
材質
洋紙、墨/表紙、紺/洋綴
保存状態
大見出し
自筆資料
小見出し
日記
訳者・編者
巻冊
1冊
装丁
刊行者
刊行地
刊行年
1925
初版年
ページ数
10+376+78+53+5頁
サイズ
19.0×12.8
日本語名
書入れ
備考1
積善館当用日記 葉書、新聞切抜貼付
備考2
【翻刻1】◇一月二十二日(木) 晴 やや暖/  朝十一時過起く、午後二時過吉備慶三郎氏の為に短冊かく。金嵜氏を訪、同氏弟子福田氏自転車にて富治呉服店に之き、帯をまきおくる棒五本ほどもらひ来り、金崎氏荷造りし、書留にして出しくれる。祝子秋堂開店「鼠の秋や きひよく眠る猫肥つ」熊楠 大正十三甲子歳九月 為吉備慶三郎君。同時に状を出し、其の講釈をかく。五時大島氏来り、妻列席し、書斎にて四十分斗り話して去る。田村氏夫妻と常楠への交渉打切りもらい、予より常楠へ此宅地売りくれぬ訳を問ひ、事はか得ざれは寒気去て後ち、予大島氏と同行して常楠に面晤することとす。/夜十時過猫来り、予の側における箱の内に臥す。それを写し短冊に書く。寒のいり猫もマントをほしけなり 熊楠」十一時より毛利、志賀、田中等諸氏へ状書く。徹暁不臥。此午後猫、蛙の壷のあみをはね飛し開く。金嵜氏網のふちに四穴あけ紐とほし開き得ぬ様してくれる。十九日朝金嵜氏妻大坂に上る毛利氏と大坂迄同行せし由。/発信 吉備慶三郎書留小包一 短冊一枚、ノーツ・エンド・キーリスハ一 予のReply"Wiser To-day than Yesterday"■し出づ/来信 田村密雄状一 二十日認 午後七時三十分読「予より送りし松枝、広恵の二人書と引換に常楠申出を承諾せる後、証の為の原書を求らる」、山本喜平状一 「新田長次郎氏の寄付金のことは一度毛利氏より県庁えかけ合べきことといひ来る」、小畔四郎状一 「前日矢吹義夫氏上京、面会せし由」/[欄外]此朝千本武吉氏死亡と松枝に聞く/《田辺・南方熊楠翻字の会翻刻(未発表)》
備考3
【翻刻2】◇二月三日(火) 晴/  昨夜不眠、今朝八時過より午後三時迄臥す。夕飯前金崎氏来り、短冊かけ一つ、九十銭で買し由くれる。夕金崎氏を訪、川島友吉氏えびすの鼻居宅へ往き、ミソサザイの喙の色聞合せもらふ。来客有り、一寸話し出来ず。明朝画いて持行べしといひしとて、帰り報ぜらる。夜十一時より矢吹氏への状書つづく。三時臥す。四時迄眠られず。/H/ 発信 矢吹義夫書留状一 予の履歴書様の長文(一)、岡田要之助、小畔四郎各状一、志賀虎一郎状一、佐々木静夫氏への状封入、以上四状朝八時頃出す、毛利清雅ハ一、夜十一時局へ自ら出しにゆく。/来信 毛利清雅ハ一 午後三時、雑賀貞次郎ハ一、午後八時前着 本日附/[余記]一昨日東牟婁郡大島娼家全焼といふ/(猫の絵) 夜十二時写す。/《田辺・南方熊楠翻字の会(未発表)》
掲載刊