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日記(昭和7年)

ID
jihi287
目録番号
自筆287
資料名
日記(昭和7年)
作者
南方熊楠
材質
洋紙、墨/表紙、紺/洋綴
保存状態
大見出し
自筆資料
小見出し
日記
訳者・編者
巻冊
1冊
装丁
刊行者
刊行地
刊行年
1932
初版年
ページ数
12+432+90+10頁
サイズ
19.3×13.0
日本語名
書入れ
備考1
博文館当用日記 押葉、新聞切抜貼付
備考2
【翻刻1】◇一月十五日(金)/[天気]晴 [寒暖]暖 春の如し 夜寒/[本文]朝十一時三十五分起く。午後菌標品整理。夕風呂に入る。夜六時過文枝、松枝と須川医院へ之。下女の宅より菌入れ居りたる籃古びたるに付、返す為め代りを買ひ返る。九時過也。徹夜読書、又菌鏡検す。/此朝松枝闘鶏社へ参り、玉置山祠辺にて多屋鉄二郎氏にあひ、色々長話を聴きし由。/[図]乾きたる間は斑点見えず、平滑也。/[予記]十二月十九日金子直枝来り、乾ける菌三個くれる。一月ほど前にとりしといふ。それを三、四日後水に浸し、度々水を取替しに生たる如くふくれてありしが、おふおひ黒斑を生じ、今月に入てよりその水が紺の水如く濁る。今夜見るに傘、終に軟くなり、多くはとろけ去りあり。/[受信]午前八時半着 南川楠雄状一 十三日出、中井秀弥状一 十一日出 十日の夜友人の送別会席にて矢島安造氏にあふと/午後二時着 小畔四郎ハ一 十四日午後一時出、ハ一 十二日出 十三日大分局消印あり 出し手の名分らず/《田辺・南方熊楠翻字の会(未発表)》
備考3
【翻刻2】◇十一月十二日(土)/[天気]朝五時過より暴風雨 それより陰 それより雨/[本文]昨夜不眠、今朝押通し、上松氏への状と原稿かき、出す。それより午後岩田氏へ状出し、昼飯食了れば三時三十五分也。それより明後日小畔氏手を経て大坂行在所にて進献すべき粘菌を捜す。上松氏発見のCoccoderma Uematsui Minakataは終に見当らず。因て其代りに先年こしらえおきたる進献用粘菌を用ることとし、七時頃迄に十四品を捜し出す。昭和四年榎本幸治氏神島にて発見のArcyria Kannameana Mina.もあり。凡十四品を木箱に入れ金崎氏荷造りして出しにゆく。時に次に下女電信を小畔氏へ出しに之く。夜風呂に入る。十二時臥す。/H/[予記]細葉黄精の葉に付る微菌をとる。/[発信]朝九時四十分出 上松蓊状一/朝十一時十分出 岡茂雄原稿一 「狐釣の狂言」七葉と十五行/午後二時半出 岩田準一状一/午後七時半出 小畔四郎ハ一、小包一 木箱一入るる所ろの粘菌十四点、此十四品の名目は此日記末のフライ・リーフに記しおく。/又電信一 午後七時四十分頃出 七時四十分出「十四ヒンオクツタ コツコナシ、ミナ」/[受信]午前八時五十分着 岡茂雄ハ一 十日午後五時四十分出、岩田準一状 一九日夜出、ハ一 十日夜出、又ハ一 十一日午後四時十五分着、宮武省三状一 十日夜出/0時三十五分着 南方保次郎広告一/午後四時十五分着 平沼大三郎状一 十日夜十時出/《田辺・南方熊楠翻字の会翻刻(未発表)》
掲載刊