- ID
- jihi290
- 目録番号
- 自筆290
- 資料名
- 日記(昭和10年)
- 作者
- 南方熊楠
- 材質
- 洋紙、墨/表紙、紺/洋綴
- 保存状態
- 中
- 大見出し
- 自筆資料
- 小見出し
- 日記
- 訳者・編者
- 巻冊
- 1冊
- 装丁
- 刊行者
- 刊行地
- 刊行年
- 1935
- 初版年
- ページ数
- 12+365+6+48+4+88+10頁
- サイズ
- 19.5×13.0
- 日本語名
- 書入れ
- 備考1
- 博文館当用日記 押葉、葉書、新聞切抜貼付
- 備考2
- 【翻刻1】◇八月五日(月)/[天気]快 無風 四時前より雨 それより止む [寒暖]甚暑/[欄外]此午後三時半頃平田氏来る。/毛利氏とつれ帰りしとき、石友妻来りあり。/[本文]朝九時北島氏来る(是より先き七時松枝北島氏え同氏製神島植物目録持行き、表紙を書直さしむ)。予は八時起きあり。予倉に入り、標本持出す。それより荷作りし、十時三十五分倉を出、十時五十分過るも、新庄村役場より迎えの自動車来らず。当方にて自動車雇ひ駅に之くとて、衣装着にかかる処え、自動車にて三好学博士(博士は勝田氏と十時四十分田辺駅着)、勝田県嘱托、新庄村長、毛利氏四人来る。一同を二階に延き、一時間斗り話す内、坂本村長紀伊新報社の電話かり村へ聞合すに、只今潮時宜しとのこと、因て村長電話にて熊野自働車より二台タクシーよび、一台は三好、毛利、予、一台は村長、勝田、北島のり、文里埠頭に至り田上茂八氏も加はり、直に発働機関船に乗り僅かに十六分にして神島記念碑前に着、北島と田上は船より飛下り、三好、毛利、予、勝田は船人に負れて上陸。第一に地峡を隔てて小島の写真とり、北島氏小島に走りゆきテウジ葵の葉変形せるをとり来り見せる。それより北島氏案内にて、三好、予、其他つづき上り、社前に至る途上、大マンレウ、社前より内海谷海の写真とり、社後の九子房■陸等を見せ、それより下り海浜に至り香合石を見、最大のワンジュを撮影と思ひしも、波荒くして其所に行き得ず。次に大なるものを撮影し、及び鳥巣の写真とり、それより引返す。此間予鳥居上の坂を上るにレンズ、鉛筆等落せしに気付き拾ふ。勝田は坂上に立ち動かず。それより二人行幸碑前に上り、予又其の裏面の方を伺ひまつ内、久くして諸氏帰り来り、役場より持来れる折入れのすしを食ひ、西爪を食ふ(水及び茶はなし)。博士予及び海浜の写真とる。又潮見、高尾の写真とり、予より古屋盆石を博士に餽る。それより乗船、文里で上陸せず製材所前え上陸、此海上二十分かかる。それより駅へゆく、着すれば二時七分、四時頃迄またねば田辺への汽車なし(二時五分に汽車既に立つ)。村長自働車を田辺からよび、十分ほどまつ内来り。村長と田上氏は辞し去り、三好、勝田、毛利、北島、予五人乗車、二時三十四分頃田辺駅着、毛利案内にて三好氏サイダーのみに之、二時五十五分出発。予は駅夫垣谷氏と話し居り。やがて毛利北島二氏と歩して野口利太郎氏を訪ひ、△化無□[化莫測]の盆石を見、北島氏に先づ標品を予宅へ持ち帰らしめ、毛利氏とつれ帰宅すれば四時五分也。毛利氏直に去る。予暫く臥し、風呂に入り、食事し、臥す。時に八時十分頃也。松枝下女と植木市見にゆき不在。/[受信]午前十時着 W.Heffer & Sons 書目一、「昔話研究」四号、中路甚蔵ハ一 三日出、大岡山書店案内書■■一本/午後四時二十分着 加藤新市ハ一、脇水鉄五郎状一 三日出 本郷区弥生町一 東大農学部第二号館農林地質学教室、三上於覚吉便箋一印刷、岡茂雄状一 三日午後四時十分出 ― 七月三十日帰京と、紀南の温泉五四号 五日出/ 《田辺・南方熊楠翻字の会翻刻(未発表)》
- 備考3
- 掲載刊